アナタのエネルギーの燃やし方がわかれば、アナタの現実をどう作っていけば「楽しく進めるのか」を理解できるようになります。
車を進めていくのに必要なのはガソリンです。
この物質次元で現実を作っていくのは、ハートのエネルギーです。
車はガソリンがなければ、どんなに性能が良くても、スペックが高くても動きません。
人も同じだということです。
自分のハートの中にエネルギーがなければ、どんな方法も行動に移すことができませんので、実現できないのです。
では、どうすればハートの中にエネルギーがチャージできるのかというと、楽しいことをすることになります。
この楽しいことというものをどう捉えているのかによって、できるイメージが持てるかどうかが変わるのです。
楽しいことって何?
という、シンプルな答えに、自分が思っているものがなければ、どこを探しても見つかりません。
楽しいことは見つけるものではないからです。
もし本当に、探して見つかっているのであれば、もうすでに見つかっています。
そうではないなら、探すのではなく、普段からやっていることを思い出してみてください。
そこで気がつくのは、やらないといけないで行動している数の多さではないかと思います。
日常におけるほとんどが、「自分がやりたい」と思って行動していることなのであれば、好きなことや楽しいことはすぐに見つかります。
でもそうではないなら、やりたいと思って行動している時間が少ないんです。
ここの行動パターンを変えない限り、好きなことや楽しいことが見つかることはありません。
だから、変えていくんです。
「自分のやりたい」だけで行動していくことを、実践していけば、自然と楽しいことや好きなことを見つけていけるようになるんです。
でも、そうはいかないと思いますか?
その思考が現実を作っているんです。
そうはいかないと思うから、解決策が見つかりません。
ここを変えるには、視点を変えていく必要があります。
例えば、晩御飯を作ること。
これを「しなければいけないこと」だと思っていれば、毎日作ることは苦痛になります。
ここで考えることは、晩御飯という出来事に対して、どういう視点や考え方を持つことができれば、自分はご機嫌になれるのか?ということを考えてみるんです。
ここで、エネルギーで引かない自分で考えることができれば、解決策は見えてきます。
自分は「こうだ」と思うものを見つけられるんです。
ありきたりなのは、「自分の食べたいものを作る」ことや「自分のやりたいと思う規模で作る」などが挙げられますが、それが本当に自分の答えなのであれば、それに対してご機嫌になれます。
そうではないなら、その答えは違うんです。
答えにテンプレートはありません。
それなのに、なぜ同じ答えが世の中に出回っているのか?ということをもっと考えた方がいいでしょう。
同じ答えっていうのはありえないんです。
みんなが同じ答えを言っている時点で、それは誰かの答えをそのまま伝えているに過ぎません。
そして、なんでも楽しくなるように考える必要はないんです。
作りたくなければ、作らない。
やりたくなければ、やらない。
とは言っても、その時の気分によって変わるじゃないですか。
今日は作る気分じゃないけど、明日は作る。
これって、自分のエネルギーの量によって変わったりするんです。
ハートの中のエネルギー量の違いですね。
ということは、自分が好きなことばかりしていれば、案外料理を作ることも楽しいことだったりするのです。
料理に対して問題があるからといって、そこに問題の本質があるとは限りません。
そこは、いくつかの事例をもとに、根源を探していく必要があります。
多角的な視点がない限り、根本的な原因を見つけ出すことはできないんです。
逆に言えば、ある程度、事例が出てくると、いくつかの共通点を見つけ出すことができます。
例えば、
料理がしたくない。
運動したくない。
とにかく休みたい。
のであれば、単純に寝ることを思う存分楽しみたいという可能性があります。
重い社会っていうのは、忙しいを作る社会なので、そこにい続けるとどうしてもエネルギーは枯渇していきます。
「今の私は枯渇しているよ」というサインの可能性もあるということです。
その結果として、出来事ととしてさまざまなサインをみているに過ぎない可能性があります。
だったら、自分のハートが満たされると感じることをやればいいんです。
寝ること?ぼーっとすること?一人の時間を作ること?
それを、後先考えずにやれば、案外すんなりと短い時間でも満足できたりします。
車にガソリンを入れるのと同じ行動になるということです。
ちなみに、楽しいことをやっていれば疲れないというのも、肉体を持っているのでありえません。
楽しいことをやっていても、疲れる時は疲れます。
そんな時は、「ゆっくりしたいんだ」と思えば、すぐにその時間を生み出すこともできるのです。
主導権は自分にあります。
そこを忘れないでください。
楽しいことは疲れないのでありません。
ずっとお寿司ばかり食べていれば、飽きる時がきます。
それと同じなのです。
だからと言って、お寿司が嫌いになるわけではありませんよね。
1つに決めたから、その一つをやり続けないといけないというもの、支配者たちの作った嘘です。
そうしていれば、やめることに対して負い目を感じるようになります。
お寿司を食べ続けて、「もう飽きた」と思っているのに、「ここで終わったらダメ!」のような叱咤激励の感情が出てくるのは、見事に彼らの価値観を取り入れているということです。
飽きればやめればいいんです。
誰がなんて言おうと、自分に主導権があるんです。
周りの目を気にして、やりたくもないことを我慢しているから、いつまでも自分の楽しいことが見つかりません。
楽しいことを見つけるって、探すことよりもまずは、「日常の自分を変えること」の方が先です。
日常の自分を変えていけば、自然と見つかっていきます。
「あ、これもやりたかったんだった」と思えるんです。
それを思い出すから、自然と行動できるようになっていき、気がついたらできるようになっていたという状況になります。
変化って、実感するよりも、実感しないレベルの変化の方が現実は変わります。
そこがわかれば、この物質次元は「実はとても簡単な世界」なんだということがわかりますので、小さなところから変えてみてくださいね。