罪悪感を感じた時、その正体(原因)を確かめると、罪悪感というものはないということがわかります。
どんな罪悪感でも同じです。
自分に対して感じる時も、誰かに対して感じる時も、どの罪悪感も正体はありません。
正体がないものを感じて、それによって自分が重くなっていくことは、ただ自分で重い波動を作り出しているに過ぎません。
だから、罪悪感というエネルギーが出てこなかったら、すごく気持ちが楽になって、軽く生きることができるようになります。
それが、罪悪感というエネルギーを、思考操作によって埋め込んでいる理由です。
重くするための社会において、罪悪感ほど、勝手に重くなってくれるものはありません。
だから、情報や映像によって罪悪感という感情を生み出すことに必死なのです。
例えば、
「海外のある国では、戦争が起こり難民がたくさん出ています。その日を暮らすのも精一杯です。」
という情報を流します。
すると、今の自分とそれを比べて、「ああ、こんな人もいるのに私は楽しくしていていいのだろうか・・・」
と、思うようになっていきます。
すると、自分に楽しいことがあったとしても、
その思考エネルギーを埋め込んでおけば、直接的ではないにも関わらず、「楽しんではいけない」というエネルギーを生み出すことができるのです。
自分の肉眼で見えている世界は、自分の世界ではありません。
テレビの映像は、リアルではないのです。
映像はいくらでも変えることができますし、コメントの付け方や報道のやり方によって意味を変えることはそれほど難しくありません。
それを、目の前にしていないのにあたかも「アナタの現実ですよ」と情報を大量に流し、接点を生み出すことによって、思考エネルギーの流す先を操作していきます。
波動エネルギーは、都合よく動くことはありません。
自分の興味が出てくること、それが楽しいことでも、嫌なことでも、フォーカスすればエネルギーは流れます。
だから、情報・映像を見れば、そこに思考エネルギーを流す先を作ることができるのです。
情報が真実かどうかは、どうでもいいのです。
思考エネルギーを重くなるように仕向けることだけにフォーカスが当てられています。
その結果、自分のリアルではないのに、罪悪感を感じるようになっていくのです。
生み出されたものが、そもそもリアルではないのに、正体がないものなのに、なぜそれを信じるようになっているのか?
そこに疑問を持てるようになると、罪悪感から抜け出す道が見えてきます。
お化け屋敷も、どこにお化けが隠れているかわからなかったら怖いですが、隠れている場所がわかればシラケると思います。
罪悪感もそれと同じです。
シラケると、「そもそもなぜ罪悪感なんかに支配されていたんだ?笑」
と思えるようになっていくのです。
そして、日常で起こる罪悪感を客観視できるようになると、それ自体がリアルではないことにも気がつけるようになります。
そうすると、罪悪感は手放せます。
感じなくなります。
すると、どんな状況でも、自分の1番だと思える選択肢を選ぶことができるのです。
例えば、自分は「こうしたい」と思っていて、相手は「こうしたい」と思っている。
それぞれが別のことを思っていたとしても、それぞれが1番をはっきり決めることができていれば、気持ちよく一緒にいることができます。
車を運転していて、自分はどうしてもまっすぐ行きたい。
でも、相手は右のほうがいいと言っている。
その時に、相手の意見を聞いて決めることが1番であれば、それを選べばいいですし、
それを選んで結果的にまっすぐの方が早く着いたとしても、自分の1番を選んだからと何も思うことはありません。
または、自分のまっすぐを信じて進んでみることが1番だったら、周りは関係なくまっすぐを選べばいいのです。
はっきり決めれば、相手はごちゃごちゃ言うこともないのです。
相手が何かを言ってくるのは、自分の心の中で1番を決めきれていないからであり、少なからず自分の決めることに罪悪感を持っているからです。
もし、自分の中がすっきりしていれば、誰かに何かを言われることもありません。
小さな罪悪感を放置しておくと、そのエネルギーは自分の現実すべてに関わってきます。
これが「波動エネルギーは、すべてに流れていく」ということなのです。
また、大きい小さいが重要でもありません。
小さくても、思考エネルギーが流れれば、そちらに向かいます。
それを知っているから、明らかによくわかない報道や情報であっても、流すことをやめないのです。
罪悪感を持って生きることも、持たずに生きることも自由です。
どちらの体験も貴重な体験になります。
でも、軽くご機嫌に生きるなら、ラクに生きるなら、罪悪感がないことに気がついてください。
幻想だということに気がつければ、軽くなります。
そのためには、自分の中で、
「なぜ、罪悪感を感じるのか」
「何がそう思う理由なのか?」
「本当に相手は、自分が思っていることを思っているのか?」
という視点で考えてみてくださいね。